……(上)から続き>日蓮の大曼荼羅にこめられた「ぴょーん」のイメージ考察は前回書いた通りですが、このアイコンとしての特異性は何処からくるのか。日蓮が曼荼羅を初めて書いたのは佐渡流罪中といわれますが、最初期の曼荼羅にはさほど字画の伸びはありません。普通に(といっても、あり得ない大きさではあるのですが)南無妙法蓮華経と書いてある。その中に微妙ながら「南」の字の2画目が、左側の平行線上に向けてぴょーんと飛び出しています。この書き順はあり得ない。筆がすべったのか? 否、どれだけ法華経を学び、書き慣れてきた日蓮に、書き間違えはほとんどあり得ない。
ここで考えられるのは、気持ちの高揚が頂点に高まった結果、筆が紙の上を勢い走ったのではないか、ということです。この世に初めて、法華経の曼荼羅を図顕できる。あれだけ周囲に反対され、恨まれたこともあったその法華経の布教が、ようやく実を結び始めた結果、信徒に切望されて日蓮は筆を執る。そのための大きな紙も、貧しい流浪生活の中で何とか揃えた。墨も使い古しではあるが、弟子がたっぷり磨り下ろしてくれた。いよいよ言葉の世界を飛び出し、妙法蓮華経を「本尊」としてこの世にあらわす――
「ひゃっほぅ!!!」
私は、この日蓮の喜びの極みが、あの文字を書かせたのだと信じます。鎌倉で石を投げられ、小松原で頭に刀傷を負い……壮絶たる布教の現場で、高々と掲げた「南無妙法蓮華経」の旗を破られ、捨てられたこともあったでせう。今、佐渡に流されて初めて、ともに信心を固く誓う仲間に囲まれ、誰にも咎められることなく「南無妙法蓮華経」と、思う存分に書ける喜び。どれほどか…と思うのです。筆が走りに走って、嬉しくて仕方ないという字なのでありましょう。
一方、そのイメージの源泉には、平安時代の空海(弘法大師)が留学先の唐から持ち帰った書法のひとつ、「飛白体」があるというのも可能性としては高いでしょう。日蓮曼荼羅の左右両端に、長く伸びたマッチ棒のような記号があります。これは梵字のカーン・ウーン、すなわち不動明王と愛染明王をあらわすものです。この書き方と、空海の書による梵字をちりばめた「真言七祖像」(国宝・東寺蔵)の書き方は、勢いからして共通のマージナルな空気を感じさせます。日本人は、その書の歴史において秘密めいた記号をとても有り難く感じてしまう民族のようです。さて、ここに掲げた日蓮と空海、両者の共通点は何か。
① 仏教の教えを、いのちをかけて探し出し、世に広めたこと
② その人自身の人生を通じて、有り余る伝説を有していること
③ 大衆に愛されるキャラクターであること
現在でもなお、「大師」といえば空海、「祖師」といえば日蓮を指すように、この半端ない人気度は、両者の筆跡にも現れています。なんだかスゴイ字を書くし、親しみやすいし。祈ってみたら強そう。この共通点の延長線上に、前述の書法が見え隠れします。
ただ、ここで見間違えてはいけないのは、そうした書法が「単なるデモンストレーションではなかった」という点です。両者は別に書道家ではありません(書道家なんて近代以降、勝手に自意識過剰な人が拵えた職業名です)。本来の面目は、布教にいのちをかける仏教者です。珍なる字を書いて興味を引かずとも、熱心な信徒はついてくる。そこに珍なる字が生まれた理由――
「ひゃっほぅ!!」
としか言いようが無い。法悦・法喜とも言える境地が、字を書かせた。字を書く、ではなく書かされた。そう言えるかもしれません。ダイレクトに宇宙とつながってしまう筆先を、両者は具有していたのですね。書は人なり、とよくいわれますが、まさしく日蓮や空海は「書は祈りなり」の世界を私たちに示しているのです。
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