600円のタバコ

近いうちに、タバコが600円に値上がりするそうですねぃ ( ゚Д゚)y─┛~~
吸いますか? やめますか?
高い金払ってんだから自由に吸わせろ→歩きタバコが増える→取り締まり員とモメる→暴言・暴力沙汰が増える→治安悪化→外国人観光客が減る→ますます不況→日本崩壊
ヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノ

でもまぁ、何といいますかルールを守っているはずの喫煙所も、いっせいに喫煙者が詰め掛けるので悪臭はなはだしく、換気機能が向上される気配もなく、どこもかしこも「このままタバコ吸いたけりゃ肺ガンにしてやるズラ」といった雰囲気です。マイナスイオン発生させてほしい。思いきって喫煙所に噴水を設けたらどうでしょうかね。タバコは吸いたし臭いはくさし。大人のたしなみとされた時代は遠くなりました。

光迺は、一日吸っても3~5本程度です。よく職場で「もともと本数少ないのだから辞めたら?」と言われますが……本数が少ないからこそ一本一本、真剣に吸います。煙と共に、仕事の苦労や妄想を飛ばし、生命てふ火を燃やすタバコになりきる。タバコがタバコを吸うの境地。けむりの如き禅の世界であります。

久しぶりに達磨大師+お釈迦さまの掛軸を出しました。「無功徳」てふ言葉が好き。見返りを期待するほどに、人のこころも行いも鼻につくやら浅くなるやら。何も無いこと、日々無事であることが何よりの功徳と知れば安らか。ホントですよ゚.+:。(・ω・)b゚.+:。

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不況の折から

さいきん何とか仕事も順調に進み、年末には美味い酒がのめるかも…と当て込んでおります。会社・部活・サークル仲間・町内会と毎年予定が立て込みますので、忘年会の企画はお早めに連絡願います(…って、言ってると一軒も来なかったりする)

書道半紙サイズの作品は、引っ越しや開店祝いの贈呈用に額装することも多く、普段から色々書き溜めています。そのままだとシワが寄って見栄えが悪いので、専門業者に「裏打ち」を依頼します。作品の裏に専用の薄い白紙を当てて接着してもらうのですが、けっこう時間と手間のかかる作業のようです。よほど大切な作品はおいといて、不況の折から先日、書道店で「自宅で簡単にできる裏打ち紙」という商品を買ってきました。白紙の一方に熱で溶ける接着剤が付いており、作品に霧吹きをかけて伸ばし、それら2枚を重ねてアイロンを当てて接着する。とっても……

簡単なわけねーだろっ ヽ(#゚Д゚)ノ┌┛)`Д゚)・;

霧吹きをかけてクシャッ。両手で持ち上げてクタッ。アイロンかけてシワッ。あわてて伸ばしてビリッ。急いではがしてベリッ。作品やぶれてイラッ。あーもぅ無理 o(;△;)o せっかく書き上げた作品が…便所に流す直前のトイレットペーパーみたい。「簡単にできる―」のパッケージを見たら「必ず書き損じの紙などで練習してからご使用下さい」。それで10枚入りって厳しくないですか (´・ω・`)ショボーン

職人さんはスゴイですよ、やっぱり。あらためて尊敬してます。
早く技術を習得して、自作自演の書道家を目指します(笑)
11月前半も、色々と書きました。裏打ち失敗しませんように!

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日蓮と大曼荼羅 (下)

……(上)から続き>日蓮の大曼荼羅にこめられた「ぴょーん」のイメージ考察は前回書いた通りですが、このアイコンとしての特異性は何処からくるのか。日蓮が曼荼羅を初めて書いたのは佐渡流罪中といわれますが、最初期の曼荼羅にはさほど字画の伸びはありません。普通に(といっても、あり得ない大きさではあるのですが)南無妙法蓮華経と書いてある。その中に微妙ながら「南」の字の2画目が、左側の平行線上に向けてぴょーんと飛び出しています。この書き順はあり得ない。筆がすべったのか? 否、どれだけ法華経を学び、書き慣れてきた日蓮に、書き間違えはほとんどあり得ない。
ここで考えられるのは、気持ちの高揚が頂点に高まった結果、筆が紙の上を勢い走ったのではないか、ということです。この世に初めて、法華経の曼荼羅を図顕できる。あれだけ周囲に反対され、恨まれたこともあったその法華経の布教が、ようやく実を結び始めた結果、信徒に切望されて日蓮は筆を執る。そのための大きな紙も、貧しい流浪生活の中で何とか揃えた。墨も使い古しではあるが、弟子がたっぷり磨り下ろしてくれた。いよいよ言葉の世界を飛び出し、妙法蓮華経を「本尊」としてこの世にあらわす――

「ひゃっほぅ!!!」

私は、この日蓮の喜びの極みが、あの文字を書かせたのだと信じます。鎌倉で石を投げられ、小松原で頭に刀傷を負い……壮絶たる布教の現場で、高々と掲げた「南無妙法蓮華経」の旗を破られ、捨てられたこともあったでせう。今、佐渡に流されて初めて、ともに信心を固く誓う仲間に囲まれ、誰にも咎められることなく「南無妙法蓮華経」と、思う存分に書ける喜び。どれほどか…と思うのです。筆が走りに走って、嬉しくて仕方ないという字なのでありましょう。

一方、そのイメージの源泉には、平安時代の空海(弘法大師)が留学先の唐から持ち帰った書法のひとつ、「飛白体」があるというのも可能性としては高いでしょう。日蓮曼荼羅の左右両端に、長く伸びたマッチ棒のような記号があります。これは梵字のカーン・ウーン、すなわち不動明王と愛染明王をあらわすものです。この書き方と、空海の書による梵字をちりばめた「真言七祖像」(国宝・東寺蔵)の書き方は、勢いからして共通のマージナルな空気を感じさせます。日本人は、その書の歴史において秘密めいた記号をとても有り難く感じてしまう民族のようです。さて、ここに掲げた日蓮と空海、両者の共通点は何か。

① 仏教の教えを、いのちをかけて探し出し、世に広めたこと
② その人自身の人生を通じて、有り余る伝説を有していること
③ 大衆に愛されるキャラクターであること

現在でもなお、「大師」といえば空海、「祖師」といえば日蓮を指すように、この半端ない人気度は、両者の筆跡にも現れています。なんだかスゴイ字を書くし、親しみやすいし。祈ってみたら強そう。この共通点の延長線上に、前述の書法が見え隠れします。

ただ、ここで見間違えてはいけないのは、そうした書法が「単なるデモンストレーションではなかった」という点です。両者は別に書道家ではありません(書道家なんて近代以降、勝手に自意識過剰な人が拵えた職業名です)。本来の面目は、布教にいのちをかける仏教者です。珍なる字を書いて興味を引かずとも、熱心な信徒はついてくる。そこに珍なる字が生まれた理由――

「ひゃっほぅ!!」

としか言いようが無い。法悦・法喜とも言える境地が、字を書かせた。字を書く、ではなく書かされた。そう言えるかもしれません。ダイレクトに宇宙とつながってしまう筆先を、両者は具有していたのですね。書は人なり、とよくいわれますが、まさしく日蓮や空海は「書は祈りなり」の世界を私たちに示しているのです。

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日蓮と大曼荼羅 (上)

うちの実家が先祖代々日蓮宗で、義祖父も日蓮宗の坊さんでした。そのせいか御題目には特別の思い入れがあります。自分でもよく書きますし。「南無妙法蓮華経」の七文字ですが、その画数がアチコチ「ぴょーん」って。なんですかこの「ぴょーん」は。

「法」以外の文字の一部が、画面からはみ出す勢いで四方八方に「ぴょーん」と伸びています。それが真ん中にドーン。この造形美は一体なんだろう――仏教事典を見ると、これは「光明点」という書き方で、南無妙法蓮華経の七文字から慈悲・智慧・生命というものの光明が放射状に放たれている姿を表したものといいます。なるほど (゚0゚)

自分で何度も書いて見てぼんやり分かったのですが、こういう書き方は、一種の法悦に類する状態で書けるものではないかと。類似っぽい書き方と言えそうなのが、平安時代の空海によって唐から請来された「飛白体」の書法ですが、それは中国独自の文化・宗教に生成の由来があるようです。大地の気、炎といったようなものを感じさせます。

一方、日蓮の書き方は、民族とか書流いう枠をぴょーんと超え、あまつさえ世界で初めて書によって、眼に見えるが具体的には捉えきれない「光」というものを、文字によって表現した。この点にもっと我々は注目すべきだと思います。しかも「ぴょーん」の書き方、これけっこう快感でクセになります。せまい世界から飛び出すハイウェイのような、天空にのびるハシゴのような、どこまでもいけそうな気がする線。画数なんか関係ないんですもの。うねるように伸びる線、下にいくほどデカくなる文字。まるでこう、地球上に大樹が根を下ろして、いっぱいに枝を広げようとしている姿にも見えます。そのうえ「光」を表現している。ゼイタクというかグローバルというか。そう、グローバルなんです。内面のエネルギーが、外世界に放射状に向かっていく。文字だけのチカラで、一気に地球と合体していく。日本語や漢字というレベルなんかに止まらない、地球規模の文字アイコンになり得るのです。文字デザインのレベルじゃなく、個人の思考レベルを超えてしまった書。

考えてみれば、普通の書法で「南無妙法蓮華経」と書いてもあまりピンとこない。やっぱり「ぴょーん」してないと南無妙法蓮華経らしくないというか。それこそアイコンのチカラだと思います。日蓮が、これを書いたときの心理考察は、また次回に。

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文字がマンダラになるというすごさ――

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連休なんてキライよ

今日も午後から仕事に行って来ます。休みのたび何かしら用事が入り、休まるどころか部屋も片付かず何事もはかどらず。一つ用事があると、そのほかの集中力が欠けるきらいがございます。部屋の片付けも、目の前のモノに一々興味が移って、片付けを忘れてしまう。わしゃ鳩か (lll゚Д゚) 

昨日、不適切なエロ業者のコメントが付いていたと友人から通報がありました。今朝削除しましたが、やーねーまったく俺が独身の頃に貼れっていうのさ (# ̄З ̄)

タテ長の作品は、書き損じた和紙の余白を切り集めたものです。紙がもったいじゃありませんか少し間違えたからって。切りようで半紙とかハガキくらいのサイズは採寸できます。墨が入って書けない部分は台所に。食器やフライパンのアブラ汚れを拭くとよく落ち、スポンジを傷めることがありません。ぜひお試しあれ φ(・ω・ )メモメモ

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六根清浄

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あのくたらさんみゃくさんぼだい
(比類なき正しい教えによる悟り)

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東京詩人組合

文化の秋です ヽ(´▽`)/
いまの職場で「とにかく修羅場」「間に合わない」という状態が続いてます。ワタクシ頑張っているのですが、この前も会議であま(自主規制)。よくワタクシ壊れないな~と自分で感心します。精神的な休養が必要です。しかし!今日も仕事でインド大使館へ行ってきます。会社の売り上げのために頑張るぞっheart

文化の秋にちなみ、「東京詩人組合」 復活させようと思います。 さしあたり雑誌 『詩』 の復刊をやってみようかと(編集はデータ上で)。知らない人に解説しよう。
15年前の東京で、自民党も手に負えない極悪詩人集団が結成された。社会の利益性やエコロジー意識を全く無視した朗読会活動。乱闘・暴言の数々が残された飲み会。時代の暗黒を掘り返し、詩人が詩人として生きるための純粋闘争を展開した伝説のグループである。最終的には、主要メンバーの高齢化と資金繰りの悪化により組合自体は解散したが、一部のメンバーは現在も、朗読会などの地下活動を続けているという。

昔を振り返りたい…という時は、だいたい疲れている時です (ノω・、)

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常在霊鷲山 (常に霊鷲山に在り)

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神 光

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不自惜身命 (自ら身命を惜しまず)

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南 無 妙 法 蓮 華 経

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追 悼

サモア諸島地震、スマトラ島沖地震、被害者が増え続けています。ニュース報道等をよくチェックして、できる範囲の救援活動に協力できればと思います。地震は怖いよ。日本もいつまた大きなのが来ないとも限らない。いざという時の備えを忘れずに (`・∞・´)
以前、ブログで「写経の上から書道」みたいな作品をUPしたのですが、何かこう、しっくりと自分の中に入ってこない。ほいでまた上からさらに墨を塗って(汗)金銀のペンを使って写経の上からまた写経しました。ここ最近、みょうに神経症的に「重ねる」「塗る」という行為を繰り返してしまう――ちょっと精神的にアブナイかも…と思い始めた \(;゚∇゚)/
うそうそ。大丈夫です。むかしから空間恐怖症なんです。いつも塗ったり書いたりしてないと落ち着かないので、ときどき塗りすぎて作業自体が破たんします (ノ∀`) アチャー

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漆黒に浮かび上がる経文――

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全長約2メートル半。けっこう長い

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夏の疲れが

疲れが溜まっていたのか、朝から体が動きません。吉祥寺の書道店に行こうと思っていたのにもう午後の2時半かね (´Д`;≡;´Д`)アワアワ 夕方から宿直当番ですし、もう家で休養します。メンタル的に最近チョット…来週が仕事の山場です。新型インフルエンザではありませんので念のため。

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如是縁

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慈 眼

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六根清浄 (ろっこんしょうじょう)

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2016年

2016年のオリンピック開催都市がリオデジャネイロに決定 Σ(・ω・ノ)ノ!
東京残念でしたね~また次回がんばりましょう。北京のすぐあとだから、欧米の人たちは「またアジア?」みたいな感情もあったんでしょね。いいじゃんリオ。行ってみたい。5大陸では初開催とのこと、治安の改善が急務だそうです。カーニバリックな楽しいオリンピックになるといいね! 日系ブラジルの人も多いし、親近感ありますね。

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帰依三宝――仏・法・僧に帰依します
仏とは=釈迦をはじめ真理を覚ったもの/法とは=佛教のおしえ
僧とは=佛教を信じて実践するグループ、サンガ。

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旭日昇龍図

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童 心

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アプリだらけや

さいきん mixi のトップ画面に、一言メッセージやらアプリやら、変なものがゴジャゴジャして使い難くなりました。少し前のシンプルな画面が見やすかったのに、マイミクさんが加入しているアプリの遊び状況までドッサリと表示されるのはチョット…まんべんなく興味を示しておかないと、すぐマイミクに飽きられるとか言ってますます「mixi 疲れ」加速する予感が――試しに加入した「みん顔」は面白かったですが、さて次は誰の顔を作れば良いかしら? 本気で似せようと思ったら、かなり失礼に当たる顔の人もいます ((・(ェ)・;)) そういう顔の方が得てしてウケるに決まっとるにゃ。マイミク怒らせてまでヤルか――?
はじめて作ったのは結局じぶんの顔。
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濃いヒゲのツールが無かった……

ようやく近作の撮影おわりました。次回から書作品中心でUPします。

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天成地平

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直指人心 見性成仏 (じきしにんしん けんしょうじょうぶつ)
うぬが心を深く見つめよ そこにほとけがいるはずじゃ 気づけ 気づけ さぁどうじゃ

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山川草木悉皆成仏 (さんせんそうもく しっかいじょうぶつ)
山川草木みなともに ほとけ宿るぞありがたき
水の流れも風の音も ほとけのみこえ 聞くごとし

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☆10周年☆

急に思い出したのですが、今年(2009年)って、僕が書道家(なんちゃって)デビューしてから丁度10年目になるのでした。アニバーサリーじゃん ∑(=゚ω゚=;)
だからといって何を祝うとかの気は無いけれど、まぁこの10年間いろいろあったわよ(遠い目)――1999年、社会人になってもクリエイティヴに生きてやる、俺には才能があると思い込んでた23歳。その頃、仕事を通じて太鼓演奏家の響道宴(ひびき・とうえん)さんと知り合い、たまたま会場で配るポストカードを筆文字で書いて欲しいと頼まれて。あれが僕の「初仕事」でした。それから、太鼓演奏のライヴ会場で書道パフォーマンスを披露するとか、コンサートのチラシをデザインするとか。和服を着てお客さんの前に出て、びょう風にでっかい文字を書いたっけよ。
何となくアーティスト・デビューというか外向き思考の時代ですね。仕事も忙しいのに年2回は個展を開くと決意して。当然、寝る間も無くなって、過労のせいか渋谷で鼻血吹いて倒れたこともあったげな。睡眠不足で会社を遅刻するわ、給料は全部書道につぎ込んでとうとう自宅は倉庫状態。
ほいでさ、当時は「大きい作品が良い」という考えばかりで(バブリーに目立ちたかった)墨汁をドバドバ使って得意げになってたワケです。それが、書道家として当然の活動だと思ってたから。ほいたら個展会場を訪れた友達から「墨の色がヘン」と言われた。いやぁ実は市販の墨汁使ってんのよ…と気軽に話したら、「なんだよ、みんなそういう作品か。オマエ、いっぺん墨から磨り直せば?」って。ガツーンと喰らいましたね。あー俺は何かを間違えてたと。個展が終わった後、自宅に残ってた掛軸や額縁を片っ端から切り刻んで、ゴミ袋に5杯分くらい捨てました。
それから低迷期というのか、何を書いても満足できない年がだいぶ続きましてね。その間に仮名文字を初めから習い直して、中等師範の免状を取るまでひたすら練習に明け暮れた。とにかく辞めなかった。どれだけ言われても、やっぱり書道が単純に好きだったのでしょう。
ようやく最近、背伸びをしない字が書けるようになってきた気がします。奇をてらわず、ありのままの自分が出せるようになったというか。僕の以前の作品をお持ちの方々には、今からぜんぶ書き直しに伺いたいほどです(;´▽`A``

――と言うてね、その頃はその頃の、あおくさい「勢い」がこもった文字だから、それをもう一度書け、といっても無理なこと。今でも作品を大事に飾って下さる方には本当に、10年目のありがとうを心から捧げたい。皆さんの目が、戸川光迺を育ててくださった。ご恩返しに色紙一枚、半紙一枚でもお届けして、10年前の作品と見比べて頂ければ幸いなのであります。10年を機会に、もっともっと書道を勉強できればと思います。そいで臨終の時、いよいよとなったら最後の一筆、なんか書いて筆ほっぽり投げて息絶えたい。

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福寿無極 (2003)

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 無字 (2009)

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行方不明

先日、mixi 日記更新欄にカレコレ1年あまり音信不通だった友人が出てました。元気そうだし太ったようだし(メタボ?)「職場が忙しくて連絡取れなかった」との事。こちらも気には留めていたものの、色々と事情もあるのだと察していたけれど、無事であって良かったような、少し「なーんだ┐(´-`)┌ 」みたいな。恒例の年賀状も来なくなっていたから、テッチリ東南アジアに移住したのかと思っていました(笑)まぁ今後も忙しさに追われて会う事もないだろうけれど、奥さんを大事にするほど商売繁盛まちがいなしヨ。女偏に家と書くほど家庭チャント守ってくれるの人、「嫁」アルヨ。

書道作品の、上からチョコチョコ墨絵を描くのにハマッてしまいました。平安時代の写経だったかな、法華経の一文字ずつに小さな仏さま描いた人いるヨ。その職人さん、とても疲れたと思うヨ。ワタシもたーへん疲れたアルヨ。

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仕事漬け丼

職場のチームの一人が、網膜はく離で入院&手術しました。もう一人は季節性の体調不良(?)で声が出なくなりました。おそらく強度のストレスだと思います。書籍の編集部は、時間をかけて作業するのが普通だったのですが、マスコミ業界も不況の折からノンビリしてられず、来年1月から15巻シリーズの学術大叢書『新アジア仏教史』を刊行しなければなりません。執筆者総数220人、初回配本はインド・朝鮮・チベット・日本から4冊。以降毎月1冊ずつ、書店に並ぶ計画でいくと、今年の11月には3月発刊までの巻の校正作業と図版の手配を終わらせなければなりまっしぇん。
こういう土壇場的な仕事は、新聞記者時代にさんざ慣れてるのでどうもこうも思いませんが(出来るかどうかは別として)もともと書籍の編集部にいた人たちは泣いてます。来る日も来る日も学術論考の校正、期日通りに届かない原稿、細かな文字や数字の間違い、海外から届かない図版……あたしら女工哀史かぇ (´;ω;`)ウウ・・・
人間、必死でがんばらなきゃいけない年ってのがあるんですだね。嫌なら辞めりゃいいですだ。一日なさざれば一日食らわず。今日もコレカラ休日出勤でっす。

嫁さんの実家のお知り合いから望まれて、久しぶりに作品を額装しました。

寿比南山 (寿命が、南山に比べるほどにながらえる)

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高野山ゆるキャラ上等

高野山真言宗の新しいマスコット・キャラクター「こうやくん」が人気だそうです。すきな食べ物は高野豆腐ですって (*^m^) まぁ、ひこにゃんには勝てないでしょうけど確かにカワイイと認めますわ。奈良の「せんとくん」の事件もあったから、久しぶりに安心して見られるゆるキャラになって良かったです。この勢いで「大師くん」とか作っちゃえばいいさ。

この週末にかけて妻が大阪出張のため、留守番も兼ねて書道に勤しみました。先日見た趙之謙のイメージが相当強かったらしく自分の書の字形が徐々に崩れ始めました……
おそるべし中国書法!

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友人が携帯を失くしたそうで、彼のブログを見たら「運よく見つかったけど、受け取りに行ったら美人の女性警官に画像データをチェックされちゃって……」いやぁ久しぶりに面白い体験談でした。ヘンなもの撮っちゃだめですよ (ノ∀`) アチャー

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美術館に住んでみたい

昨日、休暇の最後に上野の国立博物館へ行ってきました。「趙之謙とその時代」展を平成館企画展示室で開催中との事。北魏書は独特の迫力があって宜しゅうございました。趙之謙は篆刻(てんこく)で活躍した人物とばかり思っていましたが、季節の花や果物といった彩色画も描いており、それら作品を売りながら生活していた時期もあったそうです。裕福な名家に生まれたものの青年時代に没落。貧乏暮らしの上に、都の科挙試験(会試)はわざと難しい文言を並べた答案用紙を出したため、試験官が答案を読めずに落第扱い。屈折した心境なのか、人と議論をすれば必ず相手を言い負かすまで口撃するので故郷の人から嫌われ通し。一番目に結婚した妻子に先立たれて鬱のどん底。ようやく地方の役人になって地方史を編纂する仕事に就いたものの、書をしたためる時間を削って頑張りすぎたため過労死――みたいな人です。かわいそう (´Д⊂グスン

中国の書家、特に清朝の時代に活躍した人たちは、書に思想哲学を盛り込んで特盛りつゆだくにして、すさまじい闘魂を注いでいる気がしてなりません。だてに漢字文化を背負ってんじゃねーんだよバッカヤロウ! みたいな。確かにそういう作品の数々は、運筆がシャキッとしててカッコイイです。近寄り難い凄みというか、もぅツンツンです。

そこいくと、日本の本阿弥光悦みたいに「この紙に和歌でも書いたらキレイやわぁ」的な感覚は、どことなく感覚的に流されるものの、和むというか、居心地は良いですね。やはり「漢字」に対する根本的な文化の違いは、書の中に確かにあると思います。だからヘタに運筆ばかり中国の書を真似ても結局は、その書が本来持っている精神土壌までたどり着けずに終わってしまうことも多いのではないかとしみじみ。

どうやって書いても、日本人が書いた作品は、「日本の書」でしかない。そういうことだと思います。すばらしい趙之謙の作品に、なんとなくそのことを教わった気がします。

Sho09090916 長楽萬年

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